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FUTURE TENSE:A New Monochromatic/17 Nov. - 30 Dec. 2012

Statement - ステートメント

モノクロのイメージに潜む未来形とは何か?写真の意味性における時間とは何か?

FUTURE TENSE:New Monochromatic/進行景:ネオ・クロマティック

黒、グレー、そして白の豊かな諧調を持ったイメージ。その表面下で我々が予期せぬことが起ころうとしている。我々にとってなじみ深いモノクロームの美しさは、我々を引き寄せ、被写体の中の詩的で内省的な要素を紡ぎ出す。しかし我々がこれらのイメージから感じ取るのは、何事にも定義し難い不穏な空気である。

ここに並んだ一連の作品は伝統的な白黒写真の美的感覚を兼ね備えているため、記憶や過去と言ったノスタルジーと無縁ではない。しかし奇妙なことにこれらのイメージは未来時制なのである。作品の核心部分にあるのは未来に対する警鐘と言えよう。現在時制に適合しないことから来る緊張感が、我々を不安な状態につなぎ止める。

時を刻印し、内なる自己を隠しまたは伝達することの出来る身体は先に挙げた不安を表現するのに適した媒体である。ユン・リーのシリーズ「胴」は、脱文脈化された身体にフォーカスをあてている。リーは人の肌がいかにストレスや年齢を吸収し指し示すかを明らかにするだけでなく、ディテールを神秘的に捉えることによって、一体この表面から何を読み取れば良いのかと鑑賞者に思考させる。我々の目の前に提示された脆弱かつ無防備な状態の身体と、抽象の中に存在する美、その不可解さの奥にあるのは緊張と麻痺である。

反対にザカリー・デュブイソンは我々の心の奥底に潜む最もダークな部分が、我々を豹変させるという恐怖を検証している。人間なのか動物なのかほとんど見分けのつかない身体のパーツが、我々の目前でゆっくりと形を変えていく。我々はそれらを判断しようと務めるのと同時に、もしかして見てはいけないものを見てしまうのではと警戒する。作品が進行するにつれ、我々は内側にあるものと、外在化した心の暗部との判断がつかなくなって行く。

デュブイソンと同様ドローレンのイメージは、表面下に潜在し、はっきりと目に見えず明確にし難いダークな力を題材としている。しかしながらデュブイソンの葛藤が個人的なものであり、恐怖の美を引き合いに出しているのに対し、ドローレンのダークネスの表現は、一見マジカルでおとぎ話のようなシナリオへと外面化している。その上ドローレンの遊び心に満ちたイメージの奥にはさらに現在から逃避したい衝動や未知なるものに対する恐怖といったダークな表現が潜んでいるのだ。それらは作品内での彼女の被害者/勝者が不明瞭な役柄に対する漠然とした困惑と複合する。

ライアン・ボートライトの『準郊外地域』とリーの身体のイメージとは意外な類似点がある。この作品で彼は郊外に住む中産階級の憧れのマイホームという非常に北米的なビジョンを検証しているが、リーのヌード同様我々はその不可解な表面構造について考えさせられる。ボートライトの構図は主に何もない空とわずかに見える屋根から成り立っている。彼のイメージはアイコニックかつ壮大であるが、紛れもない空虚感が漂う。

コナー・グリーンは支配構造を明らかにするためにコンテクストを剥ぎ取られた原型的な建物を構築する。ごちゃまぜになった直線は大建築物のアウトラインを形成するために暴力的に織り混ざる。そしてそれらは建物から放射線状に伸び続け、周囲は独特の雰囲気に包まれていく。グリーンのイメージはこれらの建物が支配の建築物であると示唆している。ある意味これはデュブイソンが摘発した内に潜む悪魔の建築による反復と言えよう。グリーンの青写真は内部から溢れ出す巨大な力が外形を凌駕する様子を暴露するのだ。

これらの作品全体に共通して存在する不安感は、それぞれのイメージが現在に準じていないことに起因する。この未来志向のクオリティは、伝統的に白黒写真と関連づけられてきたセンチメンタルなヴィジョンを覆すものである。これらの作品は、我々の間に定着したノスタルジックな写真鑑賞法と、全く新しいイメージ解釈法との橋がけとなるであろう。

80年代後半以降、技術の発達に伴い写真という媒体は非常に早い速度で拡大してきた。今回紹介する写真家たちは自らの望む表現を達成するためにアナログとデジタル両方のテクニックを用いている。彼らは見慣れた手法と同時に新たな手法を用いて、写真作品を制作、展示しているのだ。そのことによってこれらの作品が従来の写真というカテゴリーに収まらず、写真とは異なるラベルが貼られることを危惧する者もいるかもしれない。しかしイメージをクリエイトするプロセスは目的を達成するための手段に過ぎない。そう、これは光から生まれ、伝統的な写真のDNAを有しつつも、その意味は構成要素である粒子やピクセルを超越したネオ・クロマティックイメージなのだ。

インディアナ大学/オサム・ジェームス・ナカガワ
ピクチュラギャラリー/ミア・ダルグリッシュ
(邦訳:菅武志、杉山武毅)

Artist - アーティスト

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